箱の中の夢

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白い粉に隠れた上品な甘さのクッキー

ルイス・ブニュエルが監督を、サルバドール・ダリとブニュエルが共同で脚本を手がけた映画『アンダルシアの犬』(1928年)は、イメージの連鎖、しりとりのような作品である。冒頭の月を雲が横切るシーンから剃刀で眼球をスッとやるシーンへの流れはその代表的なものだが、ほかにもこれでもかとばかりにたたみかけてくる。先の眼球切断や、ピアノの上の驢馬の死骸など、場面を抜き出してゆくとなにやら不穏な感じを持たれる方も多いかと思われるが、約15分間を通して観ると、サイレント映画特有の大げさな演技も相まってむしろコミカルな印象が強い作品だ。先ほどイメージの連鎖と書いたが、そんな中で繰り返し登場するモチーフがある。ストライプの箱である。以前、この箱についてエッセイを書いたことがあり、その時にはダリの生い立ちを絡めて論じたのだったが、今回は箱の中身と構造に思いを巡らせてみたい。

 

この映画に何度も登場する箱は、ストラップが付いていてショルダーバッグの体裁をとっており、場面によってレジメンタルストライプのネクタイ、切断された手首から先がその中に収められ、また取り出され、最後はバラバラになって海岸に打ち捨てられる。中にものを収められるというのは、箱の大きな特徴のひとつである。これがないとただの塊になってしまうからだ。開口部があればその要件は満たしているともいえるが、やはり蓋が付いていた方が箱然としているように思う。『アンダルシアの犬』の箱ももちろん開閉できる蓋がある(ショルダーバッグであるから当たり前ではあるが)。

 

脚本のベースになっているのは、ブニュエルとダリそれぞれの夢の内容だ。よって、明快なストーリーはなく、時間や場所の推移も実にランダムというか唐突である。いうまでもなく、夢は目を閉じて眠っている状態で見るものであり、映画冒頭の眼球切断シーンはその象徴(このシークェンスはブニュエルが見た夢に基づいているのだが)ともいえそうである。ともあれ夢=無意識状態を可視化したこの作品は、それゆえ自我を排し偶然や無意識を重んじることでより自由な表現を求めたパリのシュルレアリストたちに熱狂をもって迎えられることとなった。

 

夢というものはいつの間にか時間や年月、場所が変わっていたり入り混じっていたりすることが多いのだが、本作における箱は場面転換の装置としてもうまく機能している。あたかも箱の中に別の夢の断片が収められているかのようである。箱を開け、中身を取り出し、あるいはしまうことで物語は思いがけない方向に進んでゆく。ギリシア神話の「パンドラの箱」から我が浦島太郎まで、すべての箱は開けられる運命にある。そして開けたとたん、世界は一変してしまうのである。

 

それがどんな箱であるにせよ、蓋をされた箱を開ける瞬間はなんらかの期待感(場合によっては不安感)があるものだ。例えば買ったばかりのものの外箱。店頭で実物を目にしていたとしても、持ち帰って開封する時にはえもいわれぬ気持ちの高まりがあるだろう。ネットショッピングならなおのことだ。あるいはお弁当。デパ地下などで買ったものでもそうした気分はもちろん味わえるが、学生時代に持たされたお弁当は蓋を取るまで中身がわからないという点において、心の動きがより大きいように思う。また素敵な箱入りのお菓子などもそうしたところがあるのではないだろうか。ケーキの箱を開ける時、和菓子の包みを解く時、思わず「わぁ!」と声が出てしまうのは私ばかりではあるまい。箱に収まった幸福というものがあるなら、それはきっとこういうものなのだろうと思う。

 

さて、前述のように蓋を開けると直接的に視覚に訴えてくる箱の中のものがある一方、開けただけでは一見なんだかよくわからないという驚きを与えてくれるものもある。「西光亭(せいこうてい)」のくるみのクッキーなどはその代表格といえる。西光亭は、1982年、代々木上原駅前にオープンした店だ。もともとは欧風家庭料理を供するレストランであったが、メニューのひとつであったスイーツが評判を呼び、現在ではスイーツ販売を中心とした店となっている。こちらの代表的な商品がくるみのクッキーだ。

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西光亭の名は知らずとも、箱に貼られたリスの絵は見覚えがあるという方もおられるのではないだろうか。このパッケージの絵は2001年より採用されており、これまでの絵柄の数は200以上にも及ぶという。「ほぼ日」こと「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載されている絵の作者・藤岡ちささんのインタビューによれば、藤岡さんは女子美術大学在学中に、当時まだレストランだった西光亭でホール・スタッフとしてアルバイトを始め、大学卒業に際してリスの絵を描いた葉書大の絵を西光亭の奥さんにプレゼントしたそうである。それから何年かして西光亭がクッキーの詰め合わせを作る際、奥さんがリスの絵を覚えていて、パッケージに描いてみないかと持ちかけたのがこの特徴的なパッケージの発端であった。以後、リスの絵ばかりを描き続けており、その絵はすべてパッケージ化されているというから驚きだ。パッケージの絵柄は常時何種類も用意されているので、店頭やホームページで確認いただければと思う。

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写真の絵柄は「端午の節句」。鯉のぼり、兜、粽、ツバメ、花菖蒲と時節を象徴するモチーフが散りばめられている。箱は高級和紙製で、和紙独特のテクスチャーをしっかりと残したもの。この箱の蓋を開けると、一面の白い粉だ。初めて目にする人には、これはかなりの驚きではないだろうか。「クッキーを 買ったつもりが 粉ばかり」などと詠んでみたくもなろうというものである。しかし、安心召されい。クッキーは白い粉砂糖に埋もれているだけだ。箱を開けた人はそこでもう一度驚く。こんなにもたっぷりと粉糖を使っているなんて実に贅沢なことだ、と。

 

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純白の粉糖に埋もれた淡いクリーム色のくるみのクッキーは一口サイズ。外側はややサクッとした口当たりだが、中はほろほろとして柔らかさがあり、なおかつくるみの存在感もしっかりと感じさせるものだ。まわりの粉砂糖は口中で溶けてしっとりとしたニュアンスを醸し出し、ひとつで絶妙な食感のハーモニーを楽しむことができる。抑制の効いた上品な甘さでついつい二つ三つと進んでしまう味わいである。食す時は手でもいいが、器に移してスプーンで、というのがスマートかもしれない。くるみのクッキーは、その外箱の蓋を取ると、一見真っ白な粉だけに思えるとは先に記したが、そうしたちょっと不思議めいた佇まいは、どことなく夢の中の光景に似ている。砂漠なのか雪なのか、行けども行けども果てのない白い世界。ふとしたはずみにそれを舐めてみたら実に甘くて美味だった、とでもいうような。そう考えると、西光亭のくるみのクッキーは、箱の中の夢とも捉えられそうである。

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ところで、このくるみのクッキーを箱から取り出す際には、ちょっとした注意が必要だ。焦ってはいけない。まず蓋を開け、ビニール包装を解く時に力任せに手で開けないように。ハサミでスッと開封すべし。ビニールを開けたら風で粉糖が飛び散らないように気をつけよう。食べ急いで鼻息荒くなろうものなら玉手箱を開けた浦島太郎よろしく真っ白になってしまうからだ。

※掲載情報は 2016/04/29 時点のものとなります。

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青野賢一

BEAMSクリエイティブディレクター

青野賢一

セレクトショップBEAMSの社長直轄部署「ビームス創造研究所」に所属するクリエイティブディレクター。音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターも務める。執筆、編集、選曲、展示やイベントの企画運営、大学講師など、個人のソフト力を主にクライアントワークに活かし、ファッション、音楽、アート、文学をつなぐ活動を行っている。『ミセス』(文化出版局)、『OCEANS』(インターナショナル・ラグジュアリー・メディア)、『IN THE CITY』(サンクチュアリ出版)、ウェブマガジン『TV & smile』、『Sound & Recording Magazine』ウェブなどでコラムやエッセイを連載中。

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