「長屋の花見」の玉子焼き

「長屋の花見」の玉子焼き

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江戸時代の製法で作られる昔ながらの沢庵漬け

「花見にねえ……で、どこへ行くんです?」

「上野の山はいま見ごろだってえがどうだ」

「上野ですか? すると、長屋の連中がぞろぞろ出かけて、ただ花を見てひとまわりして帰ってくるんですか?」

「歩くだけなんて、そんなまぬけな花見があるもんか。向島の三囲土手へ酒、さかなを持ってって、わっと騒がなくっちゃあ、向島まで行く甲斐がねえじゃあねえか。なまじっか女っ気のねえほうがいい。男だけでくり出そうとおもうんだが、どうだい?」

(麻生芳伸編、ちくま文庫_刊『落語百選 春』所収「長屋の花見」)

 

貧乏長屋に暮らす男どもが、家主に呼び出される。すわ、店賃取り立てか!? と思えば長屋のみんなで景気よく花見にくり出そうじゃないか、と家主。

「ごらんよ。ここに、一升びんが三本あらあ。それに、この重箱のなかには、かまぼこと玉子焼きが入ってる。おまえたちは、体だけ向こうへもってってくれりゃいい。どうだい、行くか?」

 

一升びんに酒、重箱にはかまぼこと玉子焼きならよかったが、全員が店賃を滞納している貧乏長屋の家主が儲かっているわけはない。酒は番茶を薄めたもの、かまぼこは月型に切った大根のこうこ(漬物)、玉子焼きは沢庵である。金はなくとも見立ての粋よ。これらをえっちらおっちら担いで、一同は花見に出向いた。

 

沢庵は、大根を糠で漬けたものである。糠漬け自体は平安時代には存在したということだが、沢庵は江戸時代に入ってからポピュラーになったようだ。沢庵という呼び名の由来には諸説あり、最も有名なものは沢庵宗彭(たくあんそうほう)にまつわるエピソード。禅僧・沢庵宗彭は、禁中並公家諸法度絡みで起こった騒動「紫衣事件」のため一旦は出羽国上山に流罪となるも、徳川家光の時代に大赦令が出て江戸に戻る。家光は沢庵和尚に深く帰依し、1639年(寛永16年)、現在の北品川三丁目に東海寺を創建するとともに、沢庵和尚を住職に任命した。あるとき、家光が東海寺を訪れた際に沢庵和尚が自らの手になる大根の糠漬けを供した。この味をいたく気に入った家光が漬物の名を問うと、沢庵和尚は特にないという。しからば_和尚の名にちなんで「沢庵漬け」と呼ぼうとなったというのが、沢庵漬けの由来として広く知られている。ほかにもいくつかの説が存在するが、どれも史実として残っているものはなく、伝承の域を出るものではない。この由来伝承については、キリン食生活研究所によれば「沢庵は将軍に重用されただけでなく、侍から庶民まで幅広い層から愛されていた。また江戸時代、たくあん漬けは江戸近郊の農村でつくられ、江戸の庶民はそれを購入して食していた。そうした背景もあり、禅寺でつくられていた大根のぬか漬けが、江戸の庶民によって沢庵和尚と結び付けられたのではないだろうか」とある。なるほど、そうした由来の物語がついていた方が買う理由が出来ていい。嘘かホントかは二の次。鰯の頭も信心から、である。

 

当時の沢庵漬けは、大根を天日干しにして水分を抜き、糠床に漬けて作られていた。乾燥した大根はしっかりとした歯ごたえになる。「長屋の花見」の玉子焼きは、だから噛むとボリボリ音がするのである。今は製法も多様化した沢庵漬けだが、この昔ながらの「ボリボリ」が銀座にあった。作っているのは「銀座三河屋」という江戸の食をいまに伝える商品を取り扱う店である。

 

銀座三河屋の歴史を遡ると、元禄期にたどり着く。元々は汐留で酒商を営み、後に油屋に商売がえをしつつ、日本古来の手芸品や絽刺(ろざし)を将軍家や大名に納める御用商人として栄えた。明治に入ると糸屋となり組紐などを取り扱い、戦後には和装製品、婦人服地の営業販売を開始。現在の形態になったのは2003年(平成15年)と、比較的最近のことである。

 

銀座八丁目、中央通りから一本裏手の金春通りにある店は、こぢんまりしたサイズではあるが、厳選された食品が過不足なく並んでいる。日本酒に梅干しと花がつおを入れて煮詰めた「煎酒」、味噌味の麺つゆ「煮ぬき汁」といった調味料から、佃煮、昆布、即席貝汁のようなすぐ食卓に出せるものまであり、ついついあれもこれもとなってしまいそうだ。

 

こちらで買い求めた沢庵漬けは、完全無添加の昔ながらの沢庵。宮崎県田野市で栽培された大根を寒風で乾燥させ、赤穂の海水塩、道南産天然昆布、和歌山県かつらぎ町の柿の皮と糠で半年以上漬け込んだものである。着色料を使用していないので、毒々しい黄色ではなく、落ち着いたベージュがかった色合い。これなら玉子焼きと称しても違和感はなかろう。その雰囲気が出るように少し厚く切ってみた。

「長屋の花見」の玉子焼き

一切れつまんでみる。堅めの歯ごたえに続いて口中に拡がるのは、爽やかな酸味。酸っぱいのである。しかし、ただ酸っぱいだけではなく、どこかコクのある後味が残るのが特徴だ。よくあるまったりとした甘みは皆無なので、初めて食べるときには驚きがあるかもしれない(実際驚いた)。

「長屋の花見」の玉子焼き

「長屋の花見」でなにがいいかといえば、見立ての粋とじんわり温かみのある「下げ」なわけだが、重箱で料理を持っていくというくだりにも着目しておきたい。買ってきた出来合のものを袋のままで広げて食すよりは断然風情があるし、なによりゴミが出ないのがいい。手間暇かけて作った料理を詰めるのはもちろん、市販のものを選んで詰めるだけでも美味しさが違うはずである。重箱の片隅には昔ながらの沢庵漬けを。玉子焼きに見立てずともいい口直しになるだろう。ボリボリと音をさせてどうぞ。

※掲載情報は 2015/03/14 時点のものとなります。

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キュレーター情報

青野賢一

BEAMSクリエイティブディレクター

青野賢一

セレクトショップBEAMSの社長直轄部署「ビームス創造研究所」に所属するクリエイティブディレクター。音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターも務める。執筆、編集、選曲、展示やイベントの企画運営、大学講師など、個人のソフト力を主にクライアントワークに活かし、ファッション、音楽、アート、文学をつなぐ活動を行っている。『ミセス』(文化出版局)、『OCEANS』(インターナショナル・ラグジュアリー・メディア)、『IN THE CITY』(サンクチュアリ出版)、ウェブマガジン『TV & smile』、『Sound & Recording Magazine』ウェブなどでコラムやエッセイを連載中。

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