京都で見つけた「涼」と「艶」

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ざらりとした蕎麦粉と柔らかなわらびもちを愉しむ、京の銘菓

梅雨入りした東京を離れて、京都に行った。朝、東京を発ったときには雨降りで、京都も雨かと思えば、よく晴れていた。観光ではないので、雨でもさして困らないのだが、晴れている方が気分はいい。

 

この日は同志社大学での講義があったため、京都駅から地下鉄に乗り換えて今出川駅へと向かう。担当教授と近況報告がてら打ち合わせをして教室へ行き、90分間の授業。終わってから暫し話をして、学校を後にした。

 

昼食を摂っていなかったので、さてどうしようと思案し、「本家尾張屋本店」に行くことにした。本家尾張屋は1465年創業という老舗。1465年は室町時代、応仁の乱の2年前にあたるこの年、尾張国から菓子屋として京都にやってきたのがはじまりだそうだ。

 

本家尾張屋のホームページに拠れば、江戸時代の中期、禅の修行僧により中国から蕎麦切りがもたらされ、これは当初は京都の禅寺でも作られていたという。やがて「練る・伸ばす・切る」という技術を持っていた市中の菓子店が寺に代わり蕎麦切りなどの注文を受けるようになった。本家尾張屋もこの例に漏れず、1700年頃から蕎麦も始め、多くの寺院に蕎麦を納めたそうだ。以後、菓子と蕎麦の二本柱で現在まで営業を続けているのである。

 

今出川から烏丸御池に出て、車屋町通を北に少し行ったあたり。明治時代はじめ頃の木造建築という趣のある二階建ての建物が本家尾張屋本店だ。昼時をとうに過ぎた時間だったので、待つことなく二階の席に案内される。店内も実に落ち着いた風情である。お品書きをひとしきり眺め、野菜天せいろを注文すると、「こちらサービスです、どうぞ」と、尾張屋の代表的な菓子「そば餅」と「蕎麦板」をひとつずつテーブルに置いていってくれた。

 

待つこと暫し、注文の品が運ばれてきた。野菜の天麩羅に使われているのは、京野菜だろう。素材が持つ甘さが衣のなかに凝縮されているような味わいだ。蕎麦は東京のものに比べてやや柔らかめ。これを出汁の味をしっかりと感じる気持ち甘めの蕎麦つゆでいただく。じっとりとした初夏の京都にふさわしい昼食だ。食べ終わって蕎麦湯をいただいたところで、先のそば餅に手をつける。餅というが、小麦粉とそば粉に卵、砂糖を混ぜ合わせた皮で漉し餡を包み天火で焼いた饅頭である。素朴な甘みが大変結構であった。

 

そば餅を食し、緑茶で一息ついて(蕎麦板はお腹いっぱいになったので持ち帰ることにした)、一階に下り、お会計をしてもらう。レジのところには菓子の売店があって、先のそば餅や蕎麦板が売られているのだが、ショーケースのなかに「蕎麦わらび」なるものを見つけた。いわゆるわらびもちが10個箱に入っている。見本しかないようだったので、まだあるかどうか聞いてみたところ、「お日にち明日までになりますけど」ということだったので、一箱お願いすることにした。「じゃ、今から詰めますんで、少しお待ちくださいね。」

 

蕎麦わらびは、あらかじめ箱詰めされているのではなく、その場で詰めてくれるものだった。なるほど、と思いながら受け取り、ごちそうさまでした、と店を出た。その後、現地で少し仕事をしてその日の夜に東京へ戻り、帰ってから朝まで原稿書き。昼過ぎに起きて、おやつの時間に蕎麦わらびをいただくことに。

京都で見つけた「涼」と「艶」

説明書きを読むと、「舌ざわりなめらかなわらびを、特別に焙煎製粉した上質の蕎麦粉でお召し上がりいただく本家尾張屋ならではの香ばしい風味豊かなわらびもちです」とある。箱を開ければ、見るからに柔らかそうな蕎麦わらび。かたちが不揃いなのは手作りだからであろうか。

京都で見つけた「涼」と「艶」

ガラスの器で涼を楽しむのもいいが、コントラストをつけるのもいいと思い、青とも緑ともつかない、古い時代の皿にとってみた。一口食べると、蕎麦粉の香ばしさに続けて、ほんのりとした甘みが広がる。ここのわらびもちは、昔ながらにわらび粉と砂糖だけで作られていて、妙にもったりした甘さがないのがいい。純和菓子だが、思いのほかコーヒーにも合うから不思議なものである。蕎麦粉のざらりとした感じと、女性的な柔らかさとでもいうべきわらびもちの食感がまた楽しい。

京都で見つけた「涼」と「艶」

ところで、今のような梅雨時のじっとりした気候で思い出されるのは、内田百けん(門に月)の「東京日記」だ。日比谷交差点、麹町、東京駅など、実在する具体的な場所での日常に、滲むように入り込んでくる奇妙な出来事を綴った23の話からなるこの物語のなかでも、「その8」は特別湿度が高い。

 

夕方、辺りが薄暗くなった頃、仙台坂を下っていると、後から見知らぬ女がついてくる。麻布十番へ行くといったら、女は「天現寺へ行きましょうよ、ねえねえ」。古川橋から石垣を伝って川縁に降り、女の家へ行くと「広い座敷の前も後ろも水浸しになっていた」。その後、少しのやりとりがあって(そこで妙な生き物も登場するのだが)、女は再び天現寺橋の方に行こうという。「帰りにあすこでお蕎麦を食べましょう」。

 

この話は、蕎麦屋に行く途中で終わっているのだが、水のモチーフが頻出することもあって、やけにねっとり艶かしい。読後に涼をとりたくなったら、冷やした尾張屋の蕎麦わらびはどうだろう。品のある甘さと柔らかな食感は、涼しさをもたらしながらも大人の艶っぽさがあって、話の余韻といい具合に混ざり合いそうである。なんでもかんでも「カワイイ」で片付けてしまう世の中にあって、「艶」とか「粋」といった本来大人が楽しんでいた感覚を味わうのはなかなか難しい。しかし、まったく機会がないというわけではなく、このように本や食べ物のなかにだって見つけることはできるのである。これはノスタルジーに寄りかかった話でないことは申すまでもないだろう。

※掲載情報は 2015/06/20 時点のものとなります。

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青野賢一

BEAMSクリエイティブディレクター

青野賢一

セレクトショップBEAMSの社長直轄部署「ビームス創造研究所」に所属するクリエイティブディレクター。音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターも務める。執筆、編集、選曲、展示やイベントの企画運営、大学講師など、個人のソフト力を主にクライアントワークに活かし、ファッション、音楽、アート、文学をつなぐ活動を行っている。『ミセス』(文化出版局)、『OCEANS』(インターナショナル・ラグジュアリー・メディア)、『IN THE CITY』(サンクチュアリ出版)、ウェブマガジン『TV & smile』、『Sound & Recording Magazine』ウェブなどでコラムやエッセイを連載中。

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